手紙
11月中旬頃に喪中葉書を知り合いに送った所、お2人の方から連絡が来ました。
2人共に過去ともろー訪問看護ステーションにて働いていた看護師さんです。
1人はともろー訪問看護ステーション南舞岡の元所長さんで、こんなに素敵な葉書を頂きました。
郵便ポストから葉書を取り出し、その場で暖かいメッセージを読みその場で泣いてしまいました。
実際訪問看護師としてずっと働かれていた方だからこそ、最期を看取る事の大変さを人一倍分かっているからこそ気にかけてくれたんだと思います。
その後LINEで手紙が届いた事の御礼を伝えて、人の暖かさの有り難みに感謝しました。
今まで自分は喪中ハガキが届いても何も連絡はして来なかったので、これからは一言でも大変だったねと連絡しようと思います。
お墓の営業
ネットからお墓の資料請求をしたのですが、土日になると営業の電話がひっきりなしに掛かってきます。
家族一同集まって話す時間がなく、どうしようかと方向性が決まっていない状況です。
なので最初は営業の電話に対応していましたが、最近は出ない事が殆ど。
そんなある日仕事帰りに家に帰ると、玄関のドアポストにお墓のパンフレットの封筒が差し込まれていました。
勿論切手も貼っておらず私の家に直接営業に来たのです。
ちょっとそこまでされると怖いです。
その後もメールや電話の嵐で、余りにもプッシュされ過ぎるとかえって逆効果のような…。
高い買い物なので慎重に選ばせて欲しいものです。
トンボ
今日郵便物を出す為に外に出ると、一匹の赤トンボが素早く私の腕にくっついてきました。
あ、お父さんだ。
こんなシャッターチャンスは滅多にないのですが、ポストに行くだけなのでスマホは持ってないので撮影出来ず…..
こちらは父が亡くなって直ぐに現れた別の日のトンボ。
多分、こちらもお父さんです。
今日の赤トンボは郵便ポストまで腕に付けながら歩く道中、ずっと私の話しを聞いていてくれたのでお墓どうしようか?いるなら縦に、いらないなら横に首降って教えてと言ったら、固まってました。
お父さんも悩んでるのかな…。
郵便ポストに付き、折り返し家に戻る時も腕から離れずずっと最近の近況や思っている事を話し、また会いに来てねと言ったら青天の秋空高く高く、天に飛び立って行きました。
今までの人生でトンボが身体に付いた事等1度もないので、優しいお父さんはきっと神様に好かれて下界に降りる事を許されているのでしょう。
これからも時々虫になって会いに来てくれると思うと寂しい気持ちも薄れます。
最初の手紙
父が入院した時、先生から指定された日に話しを聞きに行き手紙を渡してもらっていました。
こちらは最初に書いた手紙です。
入院したばかりで非常に状態が悪く、手で持つ事も出来ないからと机に立てるように急いで作成。
この頃の父は看護師さんから暴れるから薬を使ってますと言われたり、酸素を外さないように手にミトンをされていました。
普段は大人しい父なので暴れるなんて、よっぽど苦しいはずだと見ているのも辛かったので、励ます為に手紙を毎回書き始めたのです。
何枚かを渡す前に写真で収めたので、少しずつ思い出としてブログに公開していこうと思います。
喪中ハガキ
少し早いですが本日喪中ハガキを作成しました。
私自身喪中ハガキを出すのが初めてで、業者にて印刷する物と思っていましたが、郵便局で専用のハガキがあり自分でも作成出来そうなので作りました。
「喪中ハガキ 無料 テンプレート」で検索し、ダウンロードして必要な箇所だけ修正して印刷かければ簡単に出来ると考えていましたが、無料のテンプレートは沢山出てくるのですが、会員登録しないと殆ど使えないのです。
この為だけに会員登録はしたくないので、フリー素材で検索し、イラストだけようやく気に入った画像をダウンロードし、文章は別に打ち込みました。
なので、手作り感満載です。
文章も例を参考にして入力しましたが、初めて知った言葉や漢字で意味も分からないで変換出来ずに手こずりましたが…。
イラストはグリーンのグラデーションの菊の花。
幾つかイラストを見て直ぐに決めましたが、きっと父を在宅に戻す為に部屋の畳を新しくした際に、い草のグリーンと匂いが私の潜在意識に残っていたからかもしれません。
初めての喪中ハガキ作成。
11月中に出す事も初めて知り良い勉強になりました。
コロナ禍の入院
父が心不全で入院したのが2021年2月末。
コロナ禍でしたが個室だったので最初だけ面会する事が可能でした。
入院するまでは健康状態に問題はなく、普通に歩いて会話も出来き、ごくごく普通に生活を送っていたのですが、病室に横たわる父は素人の私が見ても危ない状況だと分かりました。
残り少ない時間を少しでも側に居たい気持ちを阻止されたのがコロナでした。
面会は2週間に1回、2分。
面会出来る内は良いですが、それも直ぐに出来なくなり窓から寝てる姿を見るだけ。
会えないので手紙を書いたら足元に私の手紙が貼ってありました。
私は少しでも元気になって貰いたいと、窓からメッセージを送り続けました。
たまたま病室が1階の窓側だったので、メッセージを振り続けてアイコンタクトのみですが…。
このコロナ禍で入院したら面会は難しいです。側に居られないのが私は一番辛かった。
私と同じ気持ちの人が今、日本に沢山いると思います。
感染防止の為しょうがないのは分かっていますが、自分の家族でも納得出来ますか?
最期を逢いたい人に会えず、知らない人に看取られるのがコロナ禍です。
私はそれが嫌だったので在宅に父を戻しました。在宅介護には色々なサービスがあり、要介護5に突然なった父でも短い間でしたが家で過ごす事が出来ました。
その中でも欠かせないのが訪問看護ステーションの存在で、家に看護師さんが来てくれる安心感は大きいです。
誰でも在宅に戻す事は難しいかもしれませんが、このコロナ禍だからこそ家で最期を看取れて本当に良かったと痛感しています。
これからもまだまだコロナ禍は暫く続くので、在宅医療の大きな役目となる訪問看護師さん達を応援していきます。
訪問介護料金
亡くなった父が利用していたサービスの支払いはこれで最後になります。
訪問看護、訪問診療、訪問介護、全部口座引き落としで申し込みをしたのですが、印鑑を間違えてしまい私が全部振り込みで処理しました。
ヘルパーさんの事業所は2箇所で入っていたので、合計25097円。
ようやく介護保険を利用した分の支払いが終わりました😭
亡くなった後の手続きは支払う物だけだと思っていましたが、意外にもお金が戻ってくる処理も多く毎週届く手紙の書類に追われています。
例えば区役所に払い過ぎた健康保険料や介護保険料や、葬式代として5万円が戻ってくる葬祭費の申請等。
申請書だけではなく、添付書類もそれぞれ違うのを用意するので時間がかかります。
私が母に変わって全て手続きしましたが、高齢の母一人だったら難しかったと思います。
皆こんな大変な思いをしてたんだなと初めて今回分かり良い勉強になりました。